あれから約1か月半。
地震と津波による被害が甚大で復興に先が見えない状態です。
それでも、少しずつ復興に向け前に進んでいます。
茨城も大きな被害が出ていて、北茨城やひたちなか・大洗等沿岸部、神栖、潮来では液状化によって地盤が沈み、住宅が大きく被害を受けました。



▲震災後、しばらくたってからの写真。千波湖から偕楽園へ向かう歩道橋
にて。今は修復。


水戸も例外ではなく、偕楽園は一部が崩落して好文亭も土壁が壊れる等がありましたし、水戸市役所も建物が使用できなくなって隣の市民会館に業務を遷しました。
また、J2水戸ホーリーホックのホームスタジアムのケーズデンキスタジアムもメインスタンドの屋根を支える柱が一部曲がり、照明も向きが変わってしまっている状態になりました。
それでも、Jリーグ再開の試合ではメインスタンドを使用禁止にして暫定的にバックスタンドとゴール裏のスタンドに観客を入れて開催し、徳島に逆転勝利してサポーター・ファンを喜ばせました。

さて、自分は仕事で北茨城市に向かう途中で国道6号線を北に向かってトラックで走っていました。
その時にはたまたまNHKラジオ第一をかけていたところ、緊急地震速報が流れました。
おや?と思った瞬間…ガタガタと。ゆっくりとその場に停止。
大きく左右に揺れ、トラックが倒れるかと思ったくらい。周りの電柱や電線は大きく震えいました。
揺れは収まり、こうしてはいられない、集荷先へ急ごうとその場からゆっくりと走りだしました。高萩市内の信号は停電で消えていたため、手で合図を出しながらの走行。
壁が壊れたところあり、路面が破損しているところあり。街の全体が重苦しい雰囲気に包まれていました。

そして、大津波警報が発令。
まだ国道6号線を走行中。かなり焦りました。でも、どうにか6号線を離れ、集荷先がある山側の工業団地へ。
あとから友人と話した事だが、高萩市の津波は国道を超え、線路も超え、かなり内側まで来たということ。
少しでももたついていたら、津波に巻き込まれていたと思うと怖い…。

集荷先で待機して、そこを出たのが午後7時頃。国道はずっとつながり、車は動かず、無事水戸に着いたのは午前3時過ぎ。そのまま家に帰られず。震災後3日目の昼に家に寄れた。
ライフラインは全て復旧していて、キッチンの物が少し落ちていて、冷蔵庫の扉が開いていた程度で大きな被害はありませんでした。

まだまだ、時間はかかりそうですが、必ず復興できます。

頑張ろう東北。
がんばっぺ!茨城。
頑張ろう日本。

もう一度、元気な日本を。